大判例

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東京高等裁判所 昭和31年(行ナ)26号 判決

原告の出願にかゝる本件発明の要旨は、「圧力下の呼吸用ガス容器と、潜水夫が吸入する吸口用具と、潜水夫が作業する水中の圧力に作用される膜を有するガス減圧弁とを具備するもので、かつ減圧弁がデプレシブ・バルブであることすなわち潜水夫の吸入によつて起きる圧力の低下の作用で働くこと、そして吐出されたガスの排出は、バルブの薄膜のごく近くで、常に膜の圧力中心から測つて、バルブの作用に必要な圧力低下を測る水柱の高さに満たない距離の地点から、水中に向つて行わしめるようにした潜水装置」にあることが認められる。

原告代理人は本件出願発明の要旨は単なる潜水マスクの改良ではなく、その添付図面の符号ABCで現わされる圧力下の呼吸用ガス容器、JKLで現わされる止め弁、EMで現わされている減圧弁、FGHIで現わされている吸入具からなる潜水装置の初めから終りまでの各装置であると主張する。なるほど明細書添付の図面には、原告の主張するような符号で現わされる各部分が記載され、また「特許請求の範囲」には「附記」として「圧力下の呼吸用ガスを入れた少くとも二個の円筒、余分の一個乃至数個の予備の円筒とを潜水夫に背負わせて、潜水夫が主円筒よりの正当なるガスの供給が尽きると感じた時栓を操作してこれを利用するようにした特許請求の範囲記載の潜水装置」と記載されているが、明細書中「図面の略解」の項には、「図面は本発明の実施例を図表式に示したものである。」と記載され、「特許請求の範囲」の項に記載されたところは先に認定した事項に止まる。そして当時施行されていた特許法施行規則(大正十年農商務省令第三十三号)第三十八条第五項によれば、明細書中「特許請求の範囲」には「発明の構成に欠くべからざる事項」が記載され、「附記」には「発明実施の態様」が記載されることを規定しているから、本件特許発明の要旨は先に認定したところに止まるものと判断するの外はない。

その成立に争のない乙第一、二号証によれば、審決が引用した特許第三七一八七号明細書は、本件特許出願が優先権を主張する仏国へ出願された千九百四十三年(昭和十八年)七月八日以前である大正九年九月二十九日特許された「潜水用自動呼吸器」に関するものであつて、この明細書に記載された潜水用自動呼吸器は紐条で潜水者の顔面に取り付けるようにしたマスクで、その中央部に圧搾空気導入用阻止弁を設け、これに給気管を連結して普通に行われる適宜の手段で圧搾空気を潜水者に給送するようにし、又呼気はマスクの下側から排気管で一側をめぐつて上側に導き、ここに不還弁を付したもので、前記阻止弁はマスク下部に設けた弁膜の内外圧力の差による前後移動をマスク内側に枢着した槓杆で伝動して、その弁脚を前後に進退させ、潜水者の吸気によつてマスク内の空気の圧力が低下したとき弁膜は後退して阻止弁は開き、潜水者は新鮮な空気を供給され、潜水者の呼気によつてマスク内の圧力が上昇したとき弁膜は前進して阻止弁は閉ぢ、呼気は排気管を通じ前記不還弁を開いて水中に吐き出されるようにしたものであることが認められる。

また、その成立に争のない乙第二号証によれば、審決が公知例の一として引用した特許第八八二一六号明細書は、昭和五年三月九日特許出願公告がなされたもので、これには潜水者が圧搾空気槽を背部に装着しその吸気及び呼気によつて開閉する弁を通じてこの空気を吸入し、呼気は不還弁を通じて水中に排出されるものを記載していることが認められる。

なお被告代理人が、潜水者が水上との連絡をもたず、自身背部、胸部等に空気槽を装着して、これから呼吸用空気の供給を受けるという思想が原告の本件特許出願の優先日以前に公知であつたことの証拠として提出した、その成立に争のない乙第三ないし第六号証によれば、大正五年四月十九日特許された特許第二九三五五号「大串式呼吸器」(乙第三号証)、大正八年一月二十五日特許された同第三三七二五号「伊佐岡式潜水機」(乙第四号証)、大正九年五月七日特許された同第三六三三五号「渡辺式呼吸器」(乙第五号証)、同年六月十日特許された同第三六五四八号「素潜水用呼吸器」(乙第六号証)の各明細書には、いずれも潜水者が自身背部、胸部等に空気槽を装着してこれから呼吸用空気の供給を受ける装置が記載されているから、潜水者が水上との連絡をもたず潜水者の身体の一部に装着した空気槽から空気の供給を受けることは、本件出願の優先日以前においてわが国内においても公知であつたと認定される。

よつて以上認定にかゝる本件出願発明の要旨と審決が引用した特許明細書に記載するところとを比較するに、両者は潜水者の吸入する空気を供給する装置と、潜水者が作業する水中の圧力に作用される膜を有するガス弁とを具備し、この弁は潜水者の吸入によつて起る気圧の低下で働らき、吐き出されたガスの排出は空気を導入する弁の膜の近くで、不還弁を通じて水中に向つて行われるものである点において全く一致し、前者は特に吐出用不還弁の排出が空気導入弁を作用する膜の極く近くで、かつ常にこの膜の圧力中心から測つて空気導入弁の作用に必要な圧力低下を測る水柱の高さに満たない距離から水中に向つて行われる点を、その要旨中に限定しているが、吐出弁と膜との距離は程度の差の問題で、ただ前者が極く近くと限定したのに対し、後者は同じマスクの前面と頂部とにこの二つを取り付けたもので、発明としての差と認められず、またその距離の点は後者には明示はないが、これはむしろ吸入弁が潜水者の吸入によつて起る圧力の低下で働き、吐出が行われる間は該弁が閉鎖されるためには必要であつて、後者でも当然そうであるべきところであつて、前記の記載事項を見れば、当業者の容易に知り得るところである。また前者は後者に記載されていない圧力下の呼吸用空気容器を有するものであるが、これが本件出願発明の要旨をなさないことは先に認定したところであるばかりでなく、審決に引用された特許第八八二一六号明細書(乙第二号証)中には潜水者が圧力下の呼吸用空気容器を背部に装着してこれから潜水者自身の吸気及び呼気によつて開閉する弁を通じて空気を吸入し、呼気を不還弁によつて水中に排出するものを記載していることは、前に三において認定したところである。

してみれば本件出願の発明の要旨とするところには、前記審決の引用刊行物乙第一、二号証の特許明細書に記載するところのものを湊合して当業者が容易に類推し得るところのものと判断するを相当とし、特許法第一条にいう発明を構成せず、特許要件を欠如するものといわなければならない。

原告代理人は、従来の潜水器がすべて水面上の船からの紐付きのもので船上からの給気を必要としたのに対し、本件出願発明により潜水夫の水中単独潜水が可能となり、潜水器に画期的な革命をもたらしめたものであると主張する。しかしながら圧力気筒を潜水者の背或は胸に装着し、船上からの給気によらず潜水するという思想は、乙第三ないし第六号証により、本件出願が優先権を主張する仏国出願日以前わが国に公知であつたことは先に認定するところであり、この思想の具体化されたものとして審決が例示した乙第二号証の特許明細書は、昭和五年三月九日に出願公告のなされたものであるから、原告代理人の右主張は、これを採用することができない。

原告代理人は、引用公報記載のものは潜水夫の顔面周囲に密着する潜水マスクの自動呼吸器の改良であるのに反し、本件出願発明のものにあつては、吸気個所と排気個所と肺の位置関係について、潜水夫がいかなる体位を採る場合においても常に自分の肺の位置に相当する水圧と実質的に等しい圧力で空気を吸入することができるように考案したものであると主張するが、この点については、明細書中「発明の詳細なる説明」の項に、「弁の膜は肺の近くにくるように置くのが理想的であつて、こうすれば薄膜は潜水夫が作業している水の圧力を受けるから、吸入ガスは潜水夫の呼吸で弁の薄膜が開かれた後で必要な圧力の下に潜水夫に到達し、従つて周囲の水と吸入ガスとの間の圧力の平衡が自動的に行われる。更に潜水夫がどんな位置をとつても、弁が吐出ガス水中への排出線より充分下の位置にある時、自動的に開いて吸入ガスを浪費する虞れは全くない。これがため潜水夫が着用する吸口に、吸入ガス管の外に、吐出ガス用の管が取付けてある。この管は薄膜のすぐ近くに開口し、その端に蝶形弁を取付けてある。この蝶形弁は吸入の際その管の中へ水が入つてくるのを防ぐのである。」と記載されておるだけで、これによつては、本件発明の装置が、減圧弁を肺の位置に接近させることを必須の要件としているものとは解されない。

また原告代理人は、本件出願発明の装置においては、潜水夫は新鮮な空気を完全に吸い得ると共に、その排気は完全に水中に排出され、この点においても引用の明細書に記載されたものと相違すると主張する。しかしながら明細書添付の図面によれば潜水夫の口にする吸口(F)に管(G)及び(H)を連設し、管(G)はデブレシブ弁(E)に、管(H)は排気弁(I)に連通するものであるから、この管及び室内に残る空気は、引例のマスク内の空気と同様に汚れるはずであつて、この点についても両者の作用効果が全然異るものとは解されない。

原告代理人は本件出願発明の特徴、作用等について極めて詳細に説明しているが、出願発明の目的、作用、効果等の説明は、願書に添付し若しくはその後適法に訂正された明細書の記載に基いてなさるべく、しかも右明細書の記載はその発明の属する技術分野において通常の技術的知識を有するものが、その発明を正確に理解し、かつ容易に実施することを得べき程度のものでなければならないことは、特許明細書が特許出願者の発明にかゝる新規な技術を開示する唯一の手段であることに鑑み当然と解せられるところ、本件出願に添付された明細書(甲第一号証)は、原告の代理人も自認するように、仏国特許局へ出願した仏文明細書の忠実な翻訳であるため、日本語として非常に難解な文章であるばかりでなく、これに記載するところも極めて簡略に過ぎ、原告代理人が当裁判所に熱心に説明するところは、これによつては到底把握されない。そしてこれに添付する図面の記載の如きもいわゆるスケルトンダイヤグラムであつて、本件発明が要旨とするところと原告代理人の主張する各装置間の距離の関係の如きは、到底これによつては知ることができない。

以上説明するところにより、審決が原告の出願にかゝる本件発明が、その優先権を主張する仏国出願前に、国内に頒布された引用の各明細書及び公知の思想の湊合であつて、特許法第一条にいう発明を構成しないとしたのは適法である。

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